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湯船に浸かるというのは、いいものだ



先日久しぶりに湯船に浸かった。今年初である。最後に湯船に浸かったのはいつだろうか。と思い出してみようとしたが、今季は入っておらず、夏場は暑くて湯船に浸からないだろうから、もしかすると1年ぶりかもしれない。湯船に浸かるのはやっぱり気持ちがいい。
実家にいたときは毎日湯船に浸かっていたのだが、今は湯船に浸かることはほとんどない。理由は、ユニットの物件に住んでいるからだ。

湯船に浸かるのが好きだったため、一人暮らしを始める時に、風呂とトイレが別の物件を探したものの、最終的に家賃を優先して、ユニットの物件に住むこととなった。
‘まあ、毎日湯船に浸かれなくてもいいか’と思い、生活をし始め、初めは湯船に浸かれない寂しさはあったものの、徐々にシャワーだけの生活に慣れてきた。そして次第に、湯船に浸かること自体を忘れていくこととなる。
たまにものすごく浸かれた時に、’そうだ! 湯船に浸かろう’と、バスタブにお湯を溜めて、久しぶりの湯船に入ることもあったが、基本的にシャワーだけの生活になっていった。

家で湯船に浸からなくなっても、温泉が好きだったこともあり、街の銭湯にはたまに行っていた。家の湯船との違いは、足を伸ばせることと、外にあるお風呂に入れること。特に冬は、室内から外に出る時にめちゃくちゃ寒いのだが、そこから湯船に浸かるあの温度差がたまらない。そして、大型の銭湯とかだと、畳の休憩スペースみたいな場所があり、お風呂上がりにゆったりするのは至福のひとときだ。もちろん、コーヒー牛乳も。

そんな楽しい銭湯も、コロナの状況になったことで行くことがなくなってしまった。元々、家でも湯船に浸かることがほとんどない中、銭湯も行かなくなってしまうと、いよいよお湯に浸かることがなくなってしまう。そうして、湯船に浸かるということからかなり遠ざかっていた。

今回湯船に入ったことで、改めて良いなと思ったことがある。物理的に身体が温まることから始まり、そこさら派生して色々良いことがあるのだろうが、一番良いなと思ったことは、思考を巡らせることが出来る点だなと思った。
個人的に、日常生活で思考を巡らせる場面といえば、家の中・歩いている時・電車の中・カフェなどが上げられる。その中で、比較的落ち着いて考えられるのは、家の中か、夜の時間帯に外を歩いている時であるが、家の中は気が散ってしまうことがあるのと、歩いているときは、歩く+考える、といったように2つのことをしているので、集中しきれない。
それに比べて湯船に浸かっているときは、スマホなどのものが一切なく、換気扇をつけなければ無音なので、気が散るということもない。かつ、なにより体の動きがないので、ゆったりとしている状態となる。それらによって、落ち着くことができ、思考を巡らせるには最適だなと感じた。

日々、なにかに追われていると、スマホを眺めたり、動画を見たりする以外の’ボーッとする時間’がなくなりがちだなと思う。なので、湯船に浸かることで、強制的に、ノイズから離れ、体の動きを止めることが出来、自然と思考を巡らせることに繋がる。有意義な頭を整理する時間を取ることが出来る。

たまに湯船に入ってみるのも、いいなと思った。

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